『社会人になってから鬱病』と『子どもの頃から鬱病』2つの鬱病の質の違いについて考える

金木犀の甘い香りが今年も漂ってきた。

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ビニールいっぱいにこの香りを閉じ込めて一生その空気吸って過ごしたい。

(訳:私はこの香りが大好きです。)

 

 

最近自分がブログを始めたのがきっかけで色んな人の鬱病ブログを見るようになったんだけど、何となく『社会人になってから過労等が原因で患った鬱病』と、子どもの頃から”特に原因がないのに”不登校の傾向があった、みたいな『子どもの頃から患ってる鬱病(最近では小児鬱という言葉もあるみたい)』では同じ鬱病だけれど、鬱病の質が違う気がしてならない。

質という言葉を使ったけど、これは詳しく言うと鬱病の根深さのこと。

後者の方が鬱病の根が深くなりやすくて「寛解したら、また働けるよ!」が通用しない場合って多いんじゃないかな。


例えば、『社会人になってから過労等が原因で患った鬱病』って休職したり、転職したりして原因を取り除くことで鬱病寛解させて復職、あらためて正社員として働けるようになるパターンの人が結構いると思うんだよ。

でも、『子どもの頃から患ってる鬱病』って学校に行きたくない原因がなかった延長で、社会人になっても会社に行きたくない原因はないままなんじゃないかって思う。

鬱の原因が見つからないのに、どうやって寛解させるかって結構難しいのでは?って。

私は後者なんだけれど、毎年必ず数カ月間鬱の症状で悩まされている。特に原因はないのに鬱の症状が出て、ひとつの仕事を長く続けることができないんだよね。

そして私が小・中学生だった頃にも、やっぱり特にいじめ等の原因はないけれど学校に通いたくないっていう保健室登校だった友達・相談室登校だった友達がいて、そのほとんどが今、私と同じようにうまく社会に出て働けないでいる。パートタイマーだったり、ひきこもりだったりして「このままじゃダメだけど、働けない。どうしよう」を拗らせている。

 

 

うん、まあ分かんないけど!

私も今年に入ってから病院変えたら「双極性障害です」って初めて言われたけど、既に10歳の頃から双極性障害の症状が出ていたのかもしれないし。発達障害の診断もされてたし!

鬱病の質が違う気がする……ッ!」とか深刻な顔して言っておいて、そもそも鬱病とは違う障害や病気がそれぞれに潜んでいるのかもしれない!


もし根深さが実際に違っていたとしても、私たちはもう子どもの頃と違って自分で自分の過ごす環境を選べる力を持っているのだから、どうにかして働ける環境を見つけて生きていくしかないのだろう。

 


それでも、子どもの頃から私や友達がずっと感じ続けている挫折感は事実だ。

私たちが寛解して気合を入れて仕事や家事に取り組める生活はあり得るのだろうか。

 

 

今日も読んでくれてありがとう!